経営に役立つ情報を知りたい経営者の方向けの記事

感謝の気持ちと幸せの関係について

先日、倫理法人会の新入会員オリエンテーションに参加してきました。今回そのオリエンテーションで話をされていた方の感謝の気持ちと幸せの関係の話がなるほどと思ったので書いておきます。

オリエンテーションで聞いた講話

今回のオリエンテーションでお話をされていた講師の方は、美容室を中心とした飲食店等の経営者の方でしたが、倫理法人会とのかかわりも長い方のようでした。その中で、おもむろに取り出したのが先の方がリング状になっている棒でした。

「これなんだかわかりますか?」と聞くのですが、なんだかわかりません。それは何かというと、そのリングの部分にビニール袋を取り付け、犬の糞を受け止めるための棒という事でした。それがどうしたのだろうと思っていると、その講師の方はこの棒のおかげで犬の散歩のストレスが激減したとのことでした。

確かに、糞の始末はストレスだろうと思います。まして、他人の家の前で飼い犬が下痢状の糞でもしようものなら、きれいに始末することもできず非常に申し訳ない気持ちになっていたとのことで、この棒でそういう迷惑をかけることも無くなったそうです。

誰かに感謝している時の自分の心の状態を見つめる

この講師の方は、この棒を考えた人は本当に素晴らしい、実際に会ったらこの感激を伝えたいと思っている自分は、とても幸せな気持ちで満たされているという事にふと気づいたとお話しされていました。

誰かに感謝するというのは能動的な行動で、自分の意志でいくらでも感謝できる対象を見つけて感謝しようと思えばできることです。これはつまり、自分が幸せな気持ちになるのを、自分でコントロールできるという事を言っています。意外と大きな発見なのではないかと思いました。

倫理法人会では感謝の反対は当たり前だそうで(1年所属していていまだに倫理法人会の事はよくわかっていませんが)、確かになんでも当たり前と思わずに感謝しようと思えばできることはたくさんありそうだと思いました。そして、感謝をすると他でもない自分自身が幸せになるというのは面白い話です。

大人の小学校‐倫理法人会

よく宗教っぽいと言われる倫理法人会ですが、どちらかというと小学校でやらされていたことを大人になって改めてもう一回、自ら進んでやっているようなイメージです。校歌斉唱とか、朗読とか、道徳の授業とか、大きな声であいさつとか。小学校当時はただ大人に言われるがままやっていたことですが、改めて大人になった時に思うのは、ああいった事は大人が子供に対してなんらか意味があると思って強いていたものです。大人になって、大人と子供の間にはそこまで大きな違いが無いということが分かった今、大人にもなんらか意味があるのではないかと思います。むしろ誰かに強制的に律される機会が無い大人ほどたまにはそういう自らを律する機会もあっていいのではないかと思います。