「論語と算盤」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
渋沢栄一著の「論語と算盤」というのは、武士の教養であった論語と、商人の必須の道具であった算盤を例えに用いて、「武士の倫理と商人の精神を一体としてビジネスを起こせばとてつもない成功を手に入れられる」と信じて実際に成功した渋沢栄一氏の人生で経験した教訓を記したものです。
また、「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」というのは、ケインズやアダム・スミスと並ぶ偉大な経済学者マックス・ウェーバーが記した、非常に大雑把に言うと「世界最大の経済大国となったアメリカの資本を築いたのは、清貧を旨とする清教徒だった」という、清貧を旨とした清教徒が実は経済的に成功し富豪となっていったという当時衝撃を与えた論文です。
どちらも1900年代初頭に記されています。この著作に共通するのは、「清く正しく生きること」と「経済的に成功すること」には何らかの関係があるという点に言及している点です。
結局は人のためになることを追求するのが一番話が早い
これは信じる者は救われるという宗教的な話ではなく、摩訶不思議な話でもありません。世のため人のために生きることで、人の役に立つものやサービスを生み出すことができ、結果としてそれが富を生むという話です。
「お金を稼ぐにはどうすればいいか?」という発想からスタートすると、別に人の役に立たなくとも色々な方法があると思います。そして、お金が稼げさえすれば個人のモチベーションはあまり関係ありません。会社勤めで日々自分の意志に反する事をやりながらでも安定した給料をもらえればお金は稼げています。
渋沢栄一氏も清教徒も、「世のため人のために生きたい」と願っていたのであって、お金を稼ぎたいと願っていたわけではありません。その結果、多くの人を助ける結果になり、その見返りとして得られる収入は人が喜んで支払った対価でした。
単純な話で本当にいいものを作って売れば、多くの人が買い求め多額の収入を得ることができます。しかし、「本当にいいもの」を作るのには決して楽をしないインチキをしないという誠意と熱意、まさに「倫理観」が重要になってきます。
「本当にいいもの」と言葉にすると簡単ですが、それを生み出すエネルギーは尋常じゃありません。見つけたと思っては勘違いだったという際限ない試行錯誤を繰り返す必要があります。砂漠でオアシスの蜃気楼を辿るような一見不毛とも思えるような状況で、力尽きて死んでしまうか本当のオアシスにたどり着くかというような覚悟が必要な作業です。
この本当にいいものを作る力の源泉となったのが、渋沢栄一氏が信じた論語の教えや清教徒が従った厳しい戒律でした。自分はいま、天地神明に誓って正しいことをやっているのだ、という心持が不屈の精神を生み、本当に世のため人のためになる財・サービスを生み出し、その見返りとして莫大な富を手にしたのだとしたら、確かに倫理と経済的成功の間には因果関係があるのだと思います。