病気がちな主婦と病気になりにくい働く女性
最近いろんな人の話を聞く機会があって、何人かの人の話を聞いていて一つ気が付いたことがありました。専業主婦には病気がちな人が多いという事です。正確には、旦那さんがあまりいろいろ言わない家庭の専業主婦は病気がちであるケースをよく聞きます。
「ああ、この人の家もそうなのか」と思うことが多く、何か理由があるのではないかと考えるに、気力が関係しているのではないかと思うようになりました。病気がちな専業主婦の話はよく聞きますが、病気がちな働く女性の話はあまり聞きません。働く女性は病気で仕事を休むと収入に直結するため、病気がちになっては死活問題です。
もちろん専業主婦にも様々な仕事があり、日々ものすごくヒマというわけでは無いですが、病気で寝込んでもなんとか日常が回ってしまいます。数日洗濯をサボっても、掃除機をかけなくても、食事の準備ができなくても、周りがある程度持ちこたえます。逆に仕事は、通常はみんな自分の仕事でいっぱいいっぱいで、急に休まれると周りが非常に困った状況になります。
この「病気になってもなんとかなる」状況と「絶対に病気になれない」状況の違いで、病気になりやすさというのが変わるのではないでしょうか。そうして、働いている人が無理しすぎて病気になる時には事態はかなり深刻になっていたりします。しかし、同じぐらいの体の強さの人を比べた時に、適度なプレッシャーの中で生きている人と、まったくプレッシャーが無い状況で生きている人との病気になる確率は違う気がします。
専業主婦は最も楽で最も厳しい職業
そう考えると、専業主婦という職業は、自らの意志で何らかのプレッシャーを作り出さなければならず、強制的にあるプレッシャーをかけられ続ける外で働く人よりも大変です。体力が鍛えないと衰えていくように、気力もある程度プレッシャーを与えられ続けないと衰えていってしまうのではないかと思います。そして、気力が衰えていった結果、はっきりと何の病気なのかよくわからない病気になって体調を崩してしまうという状況に陥るのではないかと思います。
これを防ぐためには、何らかの生きがいのような打ち込める何かを見つけ、働いている状態と同じ状態を自ら作っていく必要がありますが、運動が好きじゃない人が自ら進んで運動することは無いように、気力の面でも気力を奮い立たせるような状況に自ら進んで身を置くというのは、強制的にそういう状況になるよりもはるかに大変です。
人生の価値はどれだけ誰かの役に立ったかで決まる
例え気力を鍛えないと病気がちになるとしても平穏無事に人生を終えるのであればそれに越したことは無いという考えもあるかもしれません。しかし人生の価値とは何かを考えた時に、自分がどれだけ充実したか、生きているという事を実感できたかという事が重要になってくるのではないかと思います。それは結局「どれだけ誰かの役に立ち感謝されたか」にかかっています。誰かを踏み台にして巨万の富を得たとしても死ぬ時にその富は持っていけません。しかし誰かが感謝し、忘れずにいてくれるというのは死後も続きます。
そして、「誰かの役に立ち感謝されるチャンス」は必ず「誰かに迷惑をかけ不快な気持ちや怒りを買うリスク」と隣り合わせです。それがプレッシャーを生むことになりますが、分相応の仕事を誠実にこなせばそのプレッシャーも適度なものになり気力を鍛え健康で充実した人生をもたらすことになります。
ブログもそうですが、YoutubeやSNSなど自己表現の場は増え、クラウドワークスやランサーズのように、スキルを提供して人の役に立つことは容易になってきています。多くの人が自らの生きがいを見つけ、誰かの役に立つ人生を送って欲しいと思います。