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「積極観念の集中力養成」というごく自然な話

どこまで本当の話なのか分かりませんが、かのロックフェラー財団のロックフェラー三世や松下幸之助も師事したと言われる中村天風という方がいます。随分前から名前は聞いていたのですが、独立する前後に講演の音声CDを買って聞いてみました。

倫理法人会もそうですが、戦後間もない日本ではこのような特定の宗教に依存しない「ものの考え方」を中心に据えた宗教的な何かが一種の流行になっていたのではないかと思います。ちなみに、倫理法人会を立ち上げた丸山敏雄氏もこの中村天風氏も福岡出身で、福岡の人の気質というか、人に自分の考えを堂々と話してみんなを共感させるというのが好きなところがある気がします。

中村天風氏の講話を聴いていると、色々とヨガの考え方を取り入れたり、呼吸法や食生活にまで言及していますが、その中心となる考えは「積極観念の集中力養成」に尽きるのではないかと感じました。なんだか難しい言葉になっていますが、要は「自分がやる気になることをやらないと力を発揮できない」というごく当たり前の話です。

例えば、私は去年トライアスロンに参加しましたが、数㎞泳ぎ、100㎞をはるかに超える距離を自転車で走破し、最後にフルマラソンを走るというまあ過酷な競技です。これを、「罰として参加しろ」と言われたら、死ぬほどつらいと思います。まず完走は無理でしょう。自分で挑戦したいと思ってやっているからできるわけです。これが、「積極観念の集中力」というやつで、やりたいと思ってやることと、嫌々やることとの間に歴然とあるパフォーマンスの差です。

この力に着目して、どうやったらこの積極観念の集中力を育ててハイパフォーマーになっていけるかという事について、色々な角度から説明しているのが心身統一法の話だと理解しています。

しかし、このごく当たり前の話が皆実践できているかというと全然実践できていないのではないでしょうか。多くの人が嫌々ながらも生活のために働いていたり、家事や育児に悩まされたりしているのではないでしょうか。

「積極観念の集中力」は物事の捉え方で養成できる

よく、前向きに考えろポジティブに捉えろという話がありますが、それもこのやる気の力を引き出すためです。どうしたって避けられないやらなければならないことがあるのであれば、やる気が出るようなものの考え方で当たった方がパフォーマンスが上がるというのは当たり前と言えば当たり前の話です。

そして、我々は実は自分のためよりも人のための方がやる気が出るようにできています。これは人類全体が一つの塊としていい方向に向かうために生き物として備わっている本能です。チームワークや組織で何かに挑戦し上手くいったときの方が一人でやって上手くいった時より感動が大きかったり、自分がやったことで他人が喜んだり、感動してくれたらとても嬉しかったりといった経験は誰しもあると思います。

私はゲーム実況動画というジャンルの動画をよく見ていますが、この種の動画も、「この人が一人でこのゲームをやっていたらここまで一生懸命頑張れるだろうか」と思うことがよくあります。みんなが見ていて、みんなが続きを期待しているから頑張れる、あきらめたくなるような局面を打開するという瞬間によく出くわします。

しかし、自分のためより他人のための方が頑張れることに気付かず一生を終えてしまう人も世の中には結構いるというのもまた真実だと思います。これは、他人にいいように使われてしまう、自分が苦労しているのだから周りも苦労して欲しい、評価されないならやりたくない、みたいな考え方に囚われてしまうがためです。

そういう考えに囚われないようにするのがまさに「積極観念」です。自分が積極的に動いて誰かを喜ばせるのであって、誰かにやらされて結果相手が喜ぶという消極的な役立ち方だと、どうしても利用された感があります。自分で能動的に考え、誰かを喜ばせることをやる時間をできるだけ増やしていく、その結果誰かにやらされる時間が減り、浪費する時間が減るというのが心身統一法の話です。

子供を教育する際に注意すべきこと

これは子供を教育する際にも注意すべき点で、親が育てなければならないのは子供の「積極観念の集中力」です。宿題をやるとして、親から言われて無理やりやったのか、自分でやらなければいけないと思ってやったのか、結果が同じに見えても「積極観念の集中力」の観点からはまるで真逆の結果です。トライアスロンよりも過酷な人生を踏破できるか途中でくじけてしまうかはその子の「積極観念の集中力」にかかっています。

勉強をやりたくてやっているのか、やらされているのか。前述したように私はゲームが好きですが、ゲームと勉強は「誰かが設定した課題をクリアする」という観点から、その本質は同じです。なぜ、子供はゲームをやりたがり、勉強をやりたがらないのか。それは親が「やるな」というのか「やれ」というのかの違いでしかありません。「やるな」と言われたゲームをやる時、子供は必ずやりたくてやります。やりたくてもできない事はあっても、やりたくなくてやらなければならないときはありません。逆に勉強は、やりたくてもできない事はほとんどなく、やりたくなくてもやらなければなりません。

その結果、「積極観念の集中力」が発揮できるのはゲームの時ばかりで、勉強の時はなかなかその力を発揮できません。ゲームが好きで勉強も得意な子はたくさんいますが、私から見ると当然です。本質は同じなので、ゲームが得意な子は勉強も得意なはずです。そういう子は、親が「積極観念の集中力」をその概念を知らなかったとしても理解し、子供のやる気に着目して育てているのだと思います。逆に、「うちの子はゲームばっかりして勉強を全くしない」という子供になってしまうのは、ひたすら勉強をやれ、ゲームをするなと言い続けている結果なのではないかと思います。


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