幸運に恵まれているのか幸運を見つけているのか
以前、姓名判断の占い師に占ってもらった時に、「運がよすぎる!」と怒られた話を書いたことがありますが、そんなことを怒られても…と思うと同時に、この占い師の方は幸運というものをちょっと勘違いされているのではないかと思いました。
運についてはリチャード・ワイズマンという人の研究が有名です。細かいところが間違っているかもしれませんが、以下のような実験があります。幸運だと思っている人と、不運だと思っている人を集め、新聞を渡して読んでもらいます。その新聞には大きく「この文章を見つけた人はスタッフに伝えればお金がもらえます」と書いてあります。
この実験では、幸運だと思っている人はこの文章を高確率で発見することができ、不運だと思っている人は発見できない人が多かったそうです。
もしこの実験が本当であれば、幸運について重要なことを示唆しています。
幸運は外的なものではなく内的なもの
外的とは、自分の力ではコントロールできない環境のことです。内的というのは、逆に自分の力でコントロールできる自分次第のもののことです。先の占い師の方は幸運を外的なものと捉えていました。各人が生まれた時から与えられた天命で、生涯変わることが無いものという発想です。姓名判断では名前が変わらない限り運勢は変わらないので、どうしてもそういう発想になってしまうのかもしれません。
しかし、実験の結果を見ていただければわかりますが、「新聞にお金がもらえることが書いてある」という事実は、幸運な人にも不運な人にも訪れていました。しかし、幸運だと思っている人はそれを発見することができ、不運だと思っている人は発見できませんでした。
もし、幸運が外的なものであれば、そもそもこの「労せずお金がもらえる記事」自体に出会う可能性が幸運な人と不運な人とで違うはずです。しかし、例えば災害に直面する、病気になる、交通事故に遭うといった確率自体は幸運だろうが運だろうが変わりません。今回のコロナ禍も幸運な人にも不運な人にも等しく訪れています。
幸運な人は幸運だと「思っている」がゆえに、幸運な自分をイメージでき、幸運になる行動を取ろうとします。この部分は天から授かったものというよりは、単なる自分の思い込み、考え方の話です。であれば、不運な人も幸運な人の行動を真似ることで幸運な人へと変わることも不可能ではないはずです。
私が仮に幸運な人間だとして、幸運にあぐらをかいていてはいけないと怒られるのが「わかっていない」と感じたのは、幸運というのはむしろ努力の産物で、幸運であるためには幸運な人がとる行動を常に直感的に選択していっているにすぎません。
幸運のポイントは素直さ
私は確かに幸運な方だと思いますが、幸運であるためにはいくつかポイントがあります。まず態度としては素直な方が幸運になりやすいです。他人のアドバイスには素直に従い、頑張らなければいけない局面では言い訳せず淡々と頑張る、自分一人が得することを考えずに全体にとっていい方法を考えるなど、素直さや誠実さといった性質は味方を増やし、他人の力を自分の力として使わせてもらえます。利己的な行動は一時的に得をすることができますが、味方を減らし自分一人の力で進むしかなくなり、窮地に陥る可能性も高まります。
また、素直さは事実をありのままに見ることにもつながります。新聞にお金をもらえるなんてことが書いてあるわけがないという先入観も、素直さの欠如が一因です。
ワイズマンの実験にもあるように、自分は幸運だという思い込みも確かに重要です。例えば、あとちょっとの所で電車に乗れず次の電車に乗ることになったという状況があったとします。幸運だと思い込んでいる人は「これは自分が幸運に出会うために、次の電車になったのだ」といったような全ては幸運につながっているみたいな発想の人が多いと思います。
このような楽観的な考え方も幸運を呼び込む重要なポイントです。