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やらない後悔よりやる後悔は正しいのか

3年間世界を巡った知人の話

大航海時代をテーマにしたゲームが好きで、かつて「黄金航路 (制作㈱アピリッツ 2011年8月1日サービス開始‐2013年9月5日サービス終了) 」というテキストベースのソーシャルゲームをやっていました。テキストベースのゲームは凝った映像や音楽などが無く非常にシンプルな割に、小説が文字だけなのに面白いのと同様の面白さがあります。

そこで知り合ったプレイヤーと仲良くなり、たまたま会う機会がありました。その時に「黄金航路に出てきた港をめぐりたい」と会社を辞めるという話をしていました。それが3年半前。2017年2月に中国に旅立ったその知人が先日、世界を一周してアメリカから戻ってきました。日本から西回りで実に3年間。治安的な問題で巡れなかった港もありますが、本当に世界を一周して戻ってきました。

その世界一周の旅行記をブログに書いていて、あまりのボリュームに途中で追いつけなくなるほどの内容でしたが、最後にこんな風に書いてありました。

ボクは「”やらない後悔”より”やる後悔”」って言い方は、安易すぎてあんまり好きじゃありません。 (中略) しかし、“選択しないまま時が流れて不本意な結果になった時の後悔”と言うのは、後悔の種類としてはおよそ最悪の部類だと思います。選択した上での”やる後悔”と”やらない後悔”の大きさはそう変わりませんけど、“選択した末の後悔”“選択しなかった末の後悔”は後者の方が絶望的にデカい

20代後半から30代前半の3年間世界を一周するというのは、見方によっては棒に振っている可能性もあります。「やらない後悔よりやる後悔だ!」と旅立ち、帰ってきたら就職もできず路頭に迷うかもしれません。それだけにこの言葉は真に迫るものがあります。3年間世界を巡ったことに意味があったのかなかったのか、最期まで人生を生きてみなければわからないという現実を冷静に受け止めている言葉です。

問題はやるかやらないかではなく、やる、やらないということを自分の意志で選んだかどうか。

パスワードがわからなくなってもPCを開こうとした上司

先日亡くなった、私の元上司に当たる方は死の直前まで働き続けていたそうです。最後はパスワードも思い出せなくなり、それでも顧客からの問い合わせに応えようとPCを開こうとしていたといいます。

その上司がもう長くないかもしれないと気付いたのは昨年の7月ということなので、そこから「死ぬ前に自分のやりたいことをやる」という選択もできたと思います。働き続けることがやりたいことだった可能性もありますが、私が辞める際に相談した時には、その上司も独立したいという話をしていましたし、葬儀の時の写真を見る限り、家族と過ごしたり、旅行に行ったりしたかったと思います。

しかし、最期まで働くことを選んだのは、ひとえに残る家族のために少しでも財産を残そうと奮闘するというまさにやらない選択を自らの意志で選んだのだと思います。私も父親なので、最期にそのような選択をする気持ちはよくわかります。それでも、自分の意志でその選択をしたのであれば悔いはなかったと思います。

やりたいんだけどできないと迷っている時は、できないからやらないと腹を括ることでその先に道が開けるのかもしれません。